赤ペン瀧川先生は、ボーラーハットに(蝶)ネクタイと眼鏡、大きな赤いペン(鉛筆)を手にした姿がトレードマーク。
映画プレゼンターや俳優・演出家など、多方面に活躍されています。
瀧川さんのトークは非常に面白く、ユニークな見た目もあり、一見お笑い芸人さんなのかな?と勘違いしてしまう程です。
今回は、赤ペン瀧川先生の名前の由来や、俳優としての活動をご紹介していきます。
赤ペン瀧川のプロフィール
赤ペン瀧川、本名:瀧川 英次(たきがわ えいじ)さんは、神奈川県出身、1977年12月27日生まれ、身長168cm
ワタナベエンターテインメント所属の映画プレゼンター・俳優・演出家です。
赤ペン瀧川先生として開かれるライブは非常に好評で、これまでにDVD発売もされています。
二刀流・三刀流として活躍されている瀧川さんですが、なぜ「赤ペン瀧川」なのでしょうか?
「赤ペン瀧川」の名前の由来はメール添削!?
「赤ペン瀧川」の名前の始まりは、『迷惑(エロ)メール添削・赤ペン瀧川先生』です。
『エロメール添削・赤ペン瀧川先生』とは?
まだツイッターなどはなく、mixi(ミクシィ)がSNS発信の主流だった頃、瀧川さんもミクシィを使って公演の告知や日記の公開をしていました。
そんな中、たくさん送られてくる迷惑メール・エロメールに、一行ずつツッコミを入れていくという添削をして公開すると、それが大反響!
当時の迷惑メールはクオリティーが高かったんですよ。これは迷惑メール業界ではすごく有名なものなんですけど、タイトルが「夫がオオアリクイに殺されて一年が経ちました」とか「信じられないかもしれませんが私はチンパンジーです」とか、非常にキャッチーで独創的なものがたくさんあったんです。
ヤフー・ニュース インタビューより
あまりに反響を呼んだので、『エロメール添削・赤ペン瀧川先生』というコミュニティを立ち上げました。
これが、「赤ペン瀧川」の始まりです。
「迷惑メール添削家」から「なんでも添削家」へ
その後は、迷惑メール添削にとどまらず、添削の範囲を広げて「なんでも添削家」に。
自分の高校時代につけていた日記から、映画の添削まで、そんな添削を続けていると、「ライブをやりませんか?」とお声が掛かり、さらに続けていると「テレビのレギュラーとして、映画紹介をやってくれないか」とお声が掛かり、
映画コメンテーター「赤ペン瀧川」が誕生しました。
あれよあれよと活動の幅が広がっていったのですね。
「映画コメンテーター」から「映画プレゼンター」へ
映画のお仕事をやるようになり、当初は「映画コメンテーター」肩書で映画の解説・紹介をしていた瀧川さん。
肩書に思うところがあったようです。
こおして、現在の「映画プレゼンター」赤ペン瀧川になりました。
赤ペン瀧川は本名・瀧川英次で俳優も!
映画プレゼンターの赤ペン瀧川先生は、瀧川英次として俳優としても活動しています。
俳優になったキッカケは?
瀧川さんが高校1年生の時に、中学の先輩に誘われて演劇の稽古の見学に行ったのが始まりです。
思っていたより楽しそうなので稽古場に遊びに行くようになり、劇団が神奈川・大阪・名古屋公演の際には、学校が春休みだったので「これは…手伝ったらタダで旅行に行けるな」と思い、裏方希望で同行を志願すると、出演者として同行することに。
高1から高2にかけての春休み。3都市でやって東京に戻ってきたら、別の劇団からもオファーが入っていたそうです。
そんな感じで、気付いたら現在まで俳優を続けていたんだとか。
出演作品多数!綾野剛、長澤まさみらと共演!
瀧川さんの出演作品は、ドラマ、映画、舞台と幅が広く、ドラマでは「下町ロケット」「コンフィデンスマンJP」「ナンバMG5」「MIU404」「競争の番人」など、映画では「アウトレイジ」など、かなり多くの作品に出演されています。
「赤ペン瀧川先生」として知る人が多いかもしれませんが、俳優としての活動の方が圧倒的に長くされています。