60年代から活躍するドイツの前衛的ロックバンド「CAN」のヴォーカリストだったダモ鈴木さん。
CANに所属していたのは約3年ながら、圧倒的存在感でCANの全盛期を支えた中心人物。
世界中の先進的なミュージシャンから尊敬を集める日本人です。
そんなダモ鈴木さんには数々の伝説的エピソードがありました。
今回は、ダモ鈴木さんの伝説的エピソードについてお伝えします。
ダモ鈴木のプロフィール
【名前】ダモ 鈴木(だも すずき)
【本名】鈴木 健次(すずき けんじ)
【生年月日】1950年1月16日~2024年2月9日(享年74歳)
【出身】神奈川県
【職業】歌手
ダモ鈴木さんの「ダモ」は、森田拳次の漫画「丸出だめ夫」の「だめ夫」が由来。
何をやってもうまく行かない主人公に自分を重ね合わせ「だめ夫鈴木」と名乗っていました。
しかし、ヨーロッパの人達には「だめ夫」の発音は難しく「ダモ」となったそうです。
ダモ鈴木と細野晴臣のケンカはデマ!相手は高橋幸宏だった!
ダモ鈴木さんの代表的都市伝説に「YMOの細野晴臣さんとラジオで大喧嘩」というのがあります。
結論から言うと、これはデマでした。
正確に言うと、細野晴臣さんとのケンカはデマで、
実際のケンカ相手は、YMOの高橋幸宏さんでした。
「サディスティック・ミカ・バンド」に所属していた頃の高橋幸宏さんが、ロンドンへ行った時、
当時、放浪中だったダモ鈴木さんと大喧嘩をしたそうです。
ケンカの原因は公表されておらず不明のまま。
一説には「ダモ鈴木さんに高橋幸宏さんが殴られた」との噂もありますが、これはデマです。
【5選】ダモ鈴木の脱退理由など伝説エピソードまとめ!
ダモ鈴木さんには、高橋幸宏さんとの喧嘩エピソードの他にも伝説があったので、まとめてみました。
①日本からアメリカへ密航!?
ダモ鈴木さんは高校中退をして、アメリカに渡っています。
なんと、それは正規ルートではなく密航だったとか!?
これに関しては
それは伝説みたいになってしまってる話ですからね(笑)。
と、ダモさんは肯定も否定もされていません。
日本を飛び出した理由は
学校の成績が悪かったから
日本にいてもロクなことにならないだろうから、思い切って海外に行くことにしたそうです。
1968年当時の渡航手段は船。
一度旅に出てしまうと、なかなか帰ってこられません。
行動力が凄まじいです!
②サハラ砂漠を1人で放浪?死にかけた!?
ダモ鈴木さんは、3日間サハラ砂漠を1人で彷徨い死にかけた事があるそうです。
その際に、石器時代とのチャネリングに成功したそう。
石器時代と交信できたとか、いったいどういう事でしょう?
それだけ極限まで追い込まれていたとう事か、もしくは本当に・・・。
とりあえず、とても不思議な経験をした事には間違いはないようです。
③CAN初舞台で暴動勃発!?
路上でギターを弾きながら奇声をあげていた所を、CANメンバーにスカウトされたダモ鈴木さん。
その晩、即出演したコンサートでは暴動が起きて、めちゃくちゃに。
ダモさん曰く、なんと、その原因がダモ鈴木さん自身だったそう。
ぼくがコンサートをぶち壊したからじゃないですかね(笑)。
初舞台のその日、ダモさんがやったのは、期待された音楽とは全然違うめちゃくちゃな事だったそう。
それで気分を悪くした客同士が乱闘になり、警察沙汰へと発展しました。
④宗教「エホバの証人」に酔心?
ダモ鈴木さんの加入もあってかCANは全盛期に突入。
しかし、売れっ子になり音楽雑誌の表紙に出たりするのが好きではなかったダモさん。
特別扱いをされることに違和感を持っていたダモさんは、宗教「エホバの証人」に入信。
キッカケは当時のガールフレンド(嫁?)から聞いて知ったそうです。
33歳の時に癌と診断され、どうしても輸血が必要な場面がありましたが、
「エホバの証人」の信徒であった為に輸血が受けられず、命にかかわる大変な目に遭いました。
後に「エホバの証人」を脱退し、適切な治療は受けられたようです。
⑤リハ中に飛び出してそのまま脱退?
ダモ鈴木さんの脱退に関しては諸説あるようです。
- エホバの証人に入信してコマーシャルな音楽活動を禁じられたから
- スタジオから奇声を発しながら飛び出してそのまま帰ってこなかった
「スター意識を持つようなことが好きじゃなかった」「特別扱いされることが好きじゃない」と語るダモさん。
そういった思想は宗教の影響が大きかったと話していた事から、
エホバの証人の教えが、CAN脱退に少なからず影響を与えいたようです。
脱退後は、サラリーマンとして働いていました。
まとめ
今回は、ダモ鈴木さんの伝説的エピソードについて
- ダモ鈴木さんと大喧嘩したのは細野晴臣さんではなく、高橋幸宏さん。
- 日本に居てはダメだと日本からアメリカに密航した?
- サハラ砂漠を放浪して死にかけたことがある。
- CANの初舞台では暴動が起きた。
- エホバの証人に心酔し、必要な輸血が受けられず命を危険にさらした事がある。
- 脱退理由は、宗教が影響していたかもしれない。
以上をお伝えしました。
2014年に大腸癌と診断されて以来、2度の癌を克服してきたダモ鈴木さん。
最初の癌では「生存確率10%」と言われながらも、音楽活動をしながら2024年2月まで生きられました。
世界的に認められた音楽性は、同じ日本人として誇らしく尊敬しかありません。