プロ野球・広島カープの中村 奨成(なかむら しょうせい)選手が、また文春に掲載されました。
中村選手の女性問題は初めてではなく、素行の悪さはファンの間でも有名。
もしかすると、野球の成績より噂の方が目立ってしまっているかも。
そんな中村選手の母親は、息子の野球人生をずっと支えてきており、息子も、かつては野球での恩返しを語っていました。
今回は、中村奬成選手と母親との関係を中村選手の活躍と時系列に、そして父親についても調査してみました。
【時系列】中村奨成と母親の親子愛が泣ける!

中村奨成(なかむら しょうせい)選手のお母さんの名前は、啓子さん。
啓子さんは、おそらく1973年生まれ。2023年時点で、おそらく50歳です。
両親は、中村選手が幼い頃に離婚。
離婚以降、中村選手は母子家庭で育ちました。
【小学時代】中村奨成の野球のキッカケは母親?広島カープの熱狂的ファン!
中村奨成選手のお母さんの啓子さんは、広島カープの熱狂的ファン。
その為、息子の中村選手には「野球しかさせたくなかった」のだそう。

中村選手は小学校1年生で、地元の野球チーム「大野友星」に入部しますが、お母さんの意向が強かったのかもしれません。
野球には、野球道具一式に加え、ユニフォームや遠征費などなど、何かと金銭的負担が多かったはず。
母子家庭でフルタイムで働く啓子さんは、多忙を極めていたと容易に想像できます。
しかし、仕事の合間を縫って、中村選手とのキャッチボールの相手や
体作りの為に、鶏肉料理を頻繁に取り入れるなど、多忙ながらに中村選手を支えました。
【中学時代】中村奨成が反抗期!監督から一喝「母親を大事にしろ!」
中学生になった中村奨成選手は、「大野シニア」に所属。
母親の啓子さんは、中村選手の打撃練習の為、バトミントンの羽根の投げ役を買って出て練習に付き合いました。
そのかいあってか、中村選手が中学3年生の頃には、5つの大会で優勝という好成績。
ところが中村選手は、中学に入ると「野球だけ上手かったらええんや」と荒れ出します。
その様子があまりに酷かった為、中村選手をスカウトをしに来たはずの広陵高校監督が一喝。
「ウチにはいらん!」
「お母さんを大事にしろ。親を大事にせんやつが、他人をいたわれるか。そんなやつが野球がうまくなれるか!」
結局、自分を叱ってくれた監督に感銘を受け、広陵高校へと進みます。
【高校時代】中村奨成は1年生でレギュラー!離れても励まし続ける母親!

中村奨成選手は、高校に入ると親元を離れ、寮生活に。
そして、野球の実力を買われ、なんと1年生からレギュラー入り。
しかし、レギュラーの重圧で食事も喉を通らなくなってしまいます。
そんな中村選手をお母さんは「凄いことだから頑張ろう」と電話や手紙で励まし続けます。
実は、中村選手には気丈に振る舞っていましたが、電話の後は泣いていたそうです。
中村奨成が甲子園で前代未聞の成績!母親へ最高の恩返し!
中村奨成選手は、夢だった甲子園出場を果たします。
中村選手の努力と、お母さんの支えもあってか、甲子園という大舞台で次々と新記録を樹立。
3つの新記録
- 塁打数記録を「28」から「43」に更新。前人未到の大記録!
- 本塁打記録を「5」から「6」へ32年ぶりに更新。清原和博選手(PL学園)の記録を塗り替える。
- 打点の最多記録を「15」から「17」に更新。

甲子園に出場を願い、息子の甲子園でのホームランを打つ姿を見たいと望む、母・啓子さん。
甲子園でホームランを打ち、そのホームランボールを母に渡したいと意気込む、息子。
なんて素敵な親子愛!
中村奨成の父親は行方不明で母子家庭!
両親は、中村奨成選手が3歳の頃に離婚。
離婚以降は、母・啓子さんが女手一つで、中村選手と妹を育て上げます。
一方、父親に関しては、離婚をして行方不明という以外の情報が見つかりませんでした。
中村奨成の名付けは母親?当時から両親の関係は微妙?
「奨成(しょうせい)」という名前は、母・啓子さんが付けたそう。
夢に向かって、その夢を掴めるように
という願いがこめられています。
子供の名付けは両親で一緒に考えて行うのが、一般的。
あくまで私見ですが、もしかすると、両親はこの頃から関係が微妙だったのかもしれません。
まとめ
今回は、中村奨成選手と母親の親子愛を、中村選手の学生時代の時系列と共に、ご紹介しました。
夢だったプロ野球選手になり、中村選手はお母さんに最高の親孝行をしたのではないでしょうか。
ただ、プロ野球選手となって以降が、素行の悪さで目立ってしまいました。
この状況を、母・啓子さんはどうのように感じているのでしょうか。
安心して笑顔で過ごせるように、野球でお母さんを喜ばせてあげれる日はくるでしょうか。