「M-1グランプリ2022」の新審査員として山田邦子さんと博多大吉さんが加わる事が発表されましたね。
博多大吉さんはM-1審査員の経験者。前回、M-1グランプリ2017での自身を含めた審査員の顔ぶれを振り返り「審査員に同世代の関東の芸人さんが必要だ」という考えから、2018年からの審査員を辞退されて以来、5年ぶりの復帰となりました。
そして、山田邦子さんは今回が初審査員です。ところが、山田さんは現在はテレビでの露出がほとんど無く「誰?」「知らない」と言う声も多くあります。
そこで今回は、山田邦子さんの若い頃がどれだけ凄かったかをまとめたいと思います。

山田邦子の若い頃の活躍の様子
素人参加番組で賞金稼ぎ!?

山田邦子さんは中学から短大までいわゆるお嬢様学校に通っていました。当時からクラスメイト相手に「ものまね」や「ギャグ」を披露し、大爆笑をさらっていたそうです。そこで、「笑いを取る快感」に目覚めた山田さんは、高校生の時に、西城秀樹のものまねでテレビ番組に出演をしたのをきっかけに、短大生の頃には「マッハ邦子」として、「テレビで5分間のネタをやるバイトがあるんだけど」なんて誘われては、素人参加番組に片っ端から出演をして賞金を稼いだそうです。
伝説のバラエティー番組『オレたちひょうきん族』に出演

「オレたちひょうきん族」は1981年から1989年まで放映され、「タケちゃんマン」「ブラックデビル」「ひょうきんベストテン」「ひょうきん懺悔室」などの人気キャラクターや人気コーナーで一大ブームを巻き起こしました。
絶頂期には常時20%以上の視聴率を叩き出した伝説のバラエティー番組です。
山田さんは「オレたちひょうきん族」で、今やお笑い界のレジェンドとも言えるビートたけし・明石家さんま・島田紳助・片岡鶴太郎らと共演。番組始まって4年目に「かつらをかぶりやすいから」と山田さんが坊主にした事は有名です。

冠番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」
「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」は1989年から1992年まで放映された、トーク・コント・ものまね・音楽などの総合的な企画で、最高視聴率20.4%を記録した人気バラエティー番組です。
この番組では、番組テーマソングのKANの『愛は勝つ』、大事MANブラザーズバンドの『それが大事』を誕生させ、いずれもミリオンセラーを記録しています。山田さん自身も、当時人気だった女性アイドのWinkのパロディーで「やまだかつてないWink」を結成して、『さよならだけどさよならじゃない』を大ヒットさせました。

当時、5日間も睡眠を取らない事もあったという、多忙を極め過ぎていた山田さんには「テレビ局の楽屋に住んでいた」という伝説があるそうです。実際は、住んでいたわけではなく、頻繁に寝泊まりしていただけだそうですが、様々な番組に引っ張りだこだった山田さんは、いつ過労死をしてもおかしくない生活をしていました。
最高月収1億円!
当時の山田さん人気は凄まじく、全盛期はレギュラー番組14本を抱えていましたので、最高月収はズバリ!1億円!
当時の月収を尋ねられて、ご本人が「デパートの大きな袋に入って。1億円でこのくらい、ピン札で」と説明されています。
月収で1億円。世界が違い過ぎます。
M-1審査員に選ばれた事に世間は
まとめ
若い頃は人気過ぎて、過労死寸前だった山田邦子さん。その後、第一線を退き、闘病という苦難にもみまわれましたが、「人を笑わせたい」という気持ちが消えることは無く、闘病を乗り越えた後、最近では「ものまね漫談」という肩書で寄席の舞台に立つこともあるそうです。
テレビでの露出こそ少なくなったものの、漫才とはまた違ったお笑いスタイルでバラエティー界の第一線を駆け抜けてきた実績は本物です。今年のM-1グランプリの審査員に選ばれた事に対して、様々な意見があるようですが、山田さんにしかできない違った角度からの審査を期待できそうです。